外向型と内向型の性格でよくある勘違い
この記事では外的型と内向型の性格で多くの人がよく勘違いしてしまっている部分について書いていきたいと思います。
それがズバリ、性格は外向的か内向的かしかなく、それしか持ってないというイメージです。
完全に外向的な人もいなければ、完全に内向的な人もいない
外向的と内向的と聞くと、おそらく上記の図のように互いが反発しあっていると思うのではないでしょうか?
一方の極(外向)にいる人は社交的であり友好関係が広く、積極的で活動的。反対の極(内向)にいる人は根暗で友好関係も狭く、消極的。
まるで水と油のように互いが正反対のように見えるから、外向と内向は対極的な関係にあると思ってしまうのも無理はありません。
このようなイメージをもつと性格診断テストで「私は外向的の性格特徴により多く当てはまるから内向性はないんだ」とか、「私は内向的の性格特徴により多く当てはまるから内向的なんだ」というふうに自分自身の性格をどちから一方的と決めつけてしまいます。
しかしそれは間違いです。
正常者において完全に外向とか完全に内向という人はいません。
もし内向と外向を対極的に考えると、常に外向的な人は外向的に振る舞っていることとなり、内向的な人は内向的に振る舞っていることになってしまいます。
あくまでも外向的や内向的であって外向や内向ではないのです。
よく考えれば人間には相反する二面性があることは経験からもよくわかります。
例えば、普段は物静かで控え目な人が、突然ラップやブレイクダンスをはじめて人目を引いてみたり、いつもは賑やかで飲み会を盛り上げ役の人が、突然沈み込んでしまうことはよくあるのです。
つまり一人の人間の中には、外向性も内向性も両方を兼ね備えているというわけなのです。
これをイメージ図にするとこうです。
円そのものはその人の心、つまり性格を表します。その中に外向性と内向性の両方が存在しているのです。
この両者の違いは、意識が外向きなのか内向きなのかというところです。
意識が外向的であれば外向的な性格といわれ、意識が内向的な人であれば内向的な性格と言われるのです。
外向的な人が内向的な性格が表に出た場合
意識が外向きな人は普段の意識している生活においては外(自分以外)に関心が向いてるのですが、同時に意識していない部分の無意識では内向的(自分自身への関心)に向かっています。
例えば、普段はとても人が良くて付き合いやすい性格の人が、車に乗ったら突然人が変わったように罵詈雑言を言ってるという場合は無意識的に内的な性格が現れてしまった例です。
あまりにも極端な場合、彼らは内的なものやコトに囚われてしまい、ヒステリーになってしまいます。
内向的な人が外向的な性格が表に出た場合
逆に意識が内向的な人は普段の意識している生活においては内(自分自身)に関心が向いてるのですが、同時に意識していない部分の無意識では外向的(自分以外)に向かっています。
例えば、普段はお金や出世などに興味がなく、趣味さえあれば幸せといってる人が、無意識では地位や名声、お金などを求め葛藤してしまうのは、無意識の外向な性格が現れてしまった例です。
あまりにも極端な場合、彼らは外的なものやコトに囚われてしまい、神経症になってしまいます。
無意識の態度はどこか偶発的であり無制御で幼稚で異常です。
さきほど、普段は良い感じの人なのに(外向的な人)車に乗ったら豹変するという例は、無意識の内向性が幼稚なため、他者を顧みない自己中心的な態度をとっているというわけです。
このように一人の人間には外向性も内向性も両方兼ね備えており、互いが互いに支え合っているのです。